高田義裕の人生論
今日の箴言
経験的に言って、ちょっとした良心、すなわち、安っぽい中途半端な親切心や良心は何の親切心や良心も無いのと同然であり、何の影響力も無いこと。むしろ、それを行った事によって自分自身が痛い目を見る場合が多いのである。例えば、いつも水に溺れて死ぬのは中途半端に泳げる人ばかりだからである。すなわち、いつも助かるのは、自分は泳げないとはっきり自覚している人であり、もしくは、最後まで徹底して泳ぎ切る者だけだからである。よって、何をするにも結局は徹底して行わなければならないものであり、何事もそれをするのか、しないのかのどちらかに決定すべきなのである。はっきり出来ると思えるならば、最後まで徹底的にやれば良いし、自分には自信が無いと思うのならば、全くしない方が良いのである。いつでも中途半端にする人がとてつも無く大きな失敗をしてしまうのである。
高田義裕の人生論
今日の箴言
人間にとって最も辛いのは、単なる死では無く、生き地獄の事なのである。この世の中にはどれだけ無数の生き地獄がある事だろう。そして、神エホバこそがそれを最も忌み嫌われる方なのである。
2.ほとんどの人は、誠の神エホバを高める事をせずに、自分自身を高める事にのみ専念し、ただそれだけに終始しているのが現状なのである。
3.ある意味においては、良い事も悪い事も、すなわちすべての事でさえ、神エホバが知る事無くして起こる事は一つも無いという事である。
4.神の造られたものは素晴らしすぎるので、ひとたび、それが狂うと、すべてがとてつもなく悲惨な状態になってしまうというリスクもまた、抱えているのである。そして、人間が神の造られたものを誤用したせいで、この世の中はあらゆる厭うべき悲惨な事柄で満ちているのである。
5.自己満足の病にかかってしまっている者には、一時的には、その本人にとっては非常に辛いが、ショック療法が必要不可欠であること。
6.アダムから生まれながらにして罪を受け継いでいる、その最初から不完全な私達子孫は、どうしても私達自身の力だけでは実現出来ない不可抗力なものが最後まで残るのである。それは老いて死んで行く事であり、自分達の悪い性癖を止められない事柄の事なのである。
7.不義を行わない事が目的なのでは決して無く、神エホバが不義を行われないので、また、私達も不義を行わないという事がその理由なのである。
8.人が老いるという事は、一見、自然的で当然の流れの様に思われるかもしれないが、しかし、実際には、老いるという事は人にとって、何ものにも代えがたい不幸であり、惨めな事でしかないのである。