2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

高田義裕の人生論

今日の箴言 人生、たとえ99%まで終わっても、その100%、すなわち、死んで棺桶に入るその瞬間まで、どうなるかは決して分からないのであり、油断は禁物なのである。 2.よく広まっている事が正しいとは、必ずしも言えず、また、よく目立っている事が、事実であ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人の能力の有無など、あまり問題ではなく、何事も、ある事を行う必要性に気が付いた者こそが、まず、それを行うべき権利と義務を持っているという事である。 2.たとえ、すべてのものが存在しているからと言って、同時に、すべての事を行っても良…

高田義裕の人生論

今日の箴言 はっきりと言っておく。万全を期すことすら、ある程度までは有効であるが、それをし過ぎることは万全ではないこと。 2.神に対して富んでいないという事は、逆に、この世の中では、富んでいるという事を意味していること。また、神に対して富んで…

高田義裕の人生論

今日の箴言 何かの事で、誇れる理由を持っている者は、実際には、自分にしか無い、異質でまれな偏りを誇っているのに過ぎない事になる。 2.最近の現代人の人間関係を見ていると、はなはだ危惧を感じざるを得ない。なぜなら、互いの人間関係の交流が甚だしく…

高田義裕の人生論

今日の箴言 真実な事として、人は、優秀である人間ほど、劣等感(コンプレックス)を持っている傾向にあること。逆に、あまり優秀で無い、平凡な人間ほど、劣等感を持っていない傾向にあるのである。それは、前者は、頭が良い故に、まだ見えない、遠くまで先を…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人の人に対する唯一の正しい見方、捉え方とは、人生におけるその時々の一時的、もしくは、特殊的事情、すなわち、老人としてや、子供として、また、親として、祖父母などと言った単純な観点から判断するのでは決して無く、あくまでも、人を一人の…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべてが備えられていないと、何も始める事が出来ないと思っていたら、決して何も永久に出来ないのである。むしろ、何もない所から、すべてを生み出さなければならないのであり、無から有を生じさせるのである。であるから、私達は、すべてが揃う…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべての争い、すなわち競争、比べ合い、戦争、対抗心の最たるものは、すべて、取るになりない程、些細で最も小さい事からのみ起こること。すなわち、争いは、すべての者が、すべて必要なものを与えられておらず、互いがほんの少ししか持っていな…

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世の中で、何が最も困難な事であるかと言って、それは、決して、不可能な事を可能にする事でも無ければ、悩みや苦しみを解決する事でもないこと。それはすべて、その人が正しいと信じ込んでしまっている事を間違いであると気付かせる事であり…

高田義裕の人生論

今日の箴言 何事も、人のする事や考える事に差はほとんど無いという事であり、そういう意味において、自分が考えたりすることは、ほとんど、昔の先人も既に考えたり、行われたりしてしまっているということである。よって、先人から与えられている、昔からの…

高田義裕の人生論

今日の箴言 真実の言葉として、人は、長く余計に生きるほど、それだけ恥を掻くことも増えるということである。 2.何の悩みも無い者は、小さな子供か、それとも、日々生きることを、垂れ流しの様に、半分以上眠った状態で無為に過ごしている者かのどちらかし…

高田義裕の人生論

今日の箴言 自分より遥かに目上のお年寄りは、尊敬すべき対象であっても、決して侮るべき対象ではないこと。なぜなら、明日の命がどうなるかも分からないこの厳しい人生に対して、私達より、遥かに長く生き抜いて来た人達であるからである。まさに、若い人達…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人の知恵や知識とは、はめ込みパズルによく似ている。はめ方の正しいのは、常に一つしか無いが、99個のピースまでは、はめられたのに、あと最後のワンピースが欠けていたり、途中までは正しかったが、その先には進めないとか、中途半端なのである…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間、自分よりレベルの低いものを見て、安心していたら、知らない間に自分もレベルが低くなってしまうものなのである。よって、人は常に自分より上のものを見つめ、苦しい鍛練をして成長し続けていかねばならないのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 親の、子供に対する教育は、全く何も特別なものなど無いし、むしろあってはならない。子供は親の後ろ姿を見て初めて育つのであり、言葉などむしろ不要なのである。あくまでも、子供は親の言うことより、親が常に行っている事を模範とするのであり…

高田義裕の人生論

今日の箴言 痛みをすべて、不快なもの、悪いものという事は決して言えないこと。なぜなら、ある怪我をして、それが痛いという感覚を感じることによって、その危険な状況を知らしてくれるシグナルもしくは、警告を与えてくれるからである。もし、怪我をしても…

高田義裕の人生論

今日の箴言 物事の基本になるものである定義なり公理が、より単純明解で、簡潔なものであればあるほど、その応用範囲は、より広くなり、より複雑化すること。 2.この世の中は、人間が生きて行く為に、同じ人間を犠牲にしなければやって行けないところである…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私はようやく次の事を見い出した。人間とは、愛ある配慮さえ行き届いていれば、全く何の恐れも無く、すべてはうまく行くということを。しかし、それとは逆に、人間に愛ある配慮が行き届いていなければ、ほんの些細な事であっても、全く何もうまく…

高田義裕の人生論

今日の箴言 より富むこと、より多く持つということは、まるで、一つのコインをどんどんと積み上げて行く様なものである。これは、上に積み上げられて行く程、コインは不安定になって、いずれは崩れてしまうのである。また、より富むこと、より多く持つことは…

高田義裕の人生論

今日の箴言 何かを行う点でもっと自信を持ちなさい。なぜなら、観念的に言って、ある事柄をする必要に迫られている者は、また同時に、その事柄を行える能力も最初から既に与えられているからである。ただそれをあなた自身が自覚していないだけなのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 もし、この世の中しか存在し得ないのであったなら、私達は自分に対する不当な仕打ちに対して、あらゆる手段と思考とを尽くして互いに戦い合ったことでしょう。しかし、幸いな事に、この世の中よりも更に高い、天という存在があり、それに対する深…

高田義裕の人生論

今日の箴言 もし、聖書という一冊の中に書かれている内容を、人間が真似をして、それに匹敵する書物を書こうと模索するならば、それは書物を書く事に終わりはないのである。すなわち、人間がそれだけの内容を一冊では収めきれないのであり、もし、収めようと…

高田義裕の人生論

今日の箴言 天才と狂気は、紙一重である。 2.唯一、真理の神エホバは、人間達に対して、[苦難を乗り越えて常に進歩して行きなさい]などとは全く言われていないのであり、一見、それは義に適っている様に思われるが、その様な生き方は、他者との敵対関係を助…

高田義裕の人生論

今日の箴言 便利であることと、手間がはぶけることとは紙一重である。この世の中はどんどん便利になっているが、それは喜ばしいことかと言うと、必ずしもそうではなく、便利になった分、手間をはぶくことも多くなったという意味では、人間が、作っているもの…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私達人間は、偽りのために、苦しみを耐え忍ぶ事など出来ないし、偽りか真実かの区別が付かないもののために、苦しみを耐え忍ぶわけにもいかないのである。ただ一つ、人間は、自分が真実であると信じている事のために初めて苦しみを耐え忍ぶことが…

高田義裕の人生論

今日の箴言 事実を無意識のままに行っていることと、事実を認識して行っていることとは雲泥の差があるのである。例えば、何も知らされずに、仕事をする時と、この仕事をしなければ、家族全員を養っていけないと認識して仕事をするのとでは、仕事に対しての真…

高田義裕の人生論

今日の箴言 宗教が、人にもたらす最大の弊害とは、その宗教を信じているその人にとって、その宗教が、現実の厳しい課題に対処し、乗り越えて行く力とはならずに、むしろ、現実逃避の産物であり、嫌な現実から逃げる為の口実になってしまうことであり、感情的…

高田義裕の人生論

今日の箴言 どんなに弱いと思われる人間でも、真剣になった時は、身を引く事を考えないものである。よって、たとえ、誰であってもその人を侮ってはならないこと。 2.愚かな者にこそ知恵が必要なのであり、賢い者に知恵など必要ないのではありませんか。よっ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 地上の関心事、すなわち、自分の資力を見せびらかしたり、自己顕示欲に進むことや、目立とうとすることに注意を向けるのでは決してなく、天の関心事、すなわち、地上で利他的愛を実践することに注意を向けなければならないのである。 2.最初は、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私達にとって、最大の慰めの言葉の一つは、神は、悔い改める必要の無い、聖なる者達よりも、悔い改めた罪人の方をより喜ばれる、という思いやりのある言葉なのである。 2.本質的に言って、この世界に行き詰まるという事は、初めから存在しない。…