2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

高田義裕の人生論

今日の箴言 経験的に言って、ちょっとした良心、すなわち、安っぽい中途半端な親切心や良心は何の親切心や良心も無いのと同然であり、何の影響力も無いこと。むしろ、それを行った事によって自分自身が痛い目を見る場合が多いのである。例えば、いつも水に溺…

高田義裕の人生論

今日の箴言 現代の大多数の人々は、本来人間にとって赤子の事柄の様に容易で分かりやすい、また本来人間にとって何ものにも先にある事柄、もしくは、疑う事よりも先にある当然の行い、すなわち、神に信仰を持ち、神に従うという、ごく初歩的な基本すら出来て…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は、他の人とどちらがより優れているかを競うのでは決して無く、ただ自分だけに関して歓喜の理由を持てる様に成れる為に努力していけば良いのである。これが本来の人の本分である。 2.この世の中の出来事で、このうえも無く素晴らしい事があっ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間にとって最も辛いのは、単なる死では無く、生き地獄の事なのである。この世の中にはどれだけ無数の生き地獄がある事だろう。そして、神エホバこそがそれを最も忌み嫌われる方なのである。 2.ほとんどの人は、誠の神エホバを高める事をせずに…

高田義裕の人生論

今日の箴言 本来決して生じる事の無い事柄がこの人類史の初めから生じてしまったのであり、それは神に対する反逆というものなのである。よってその後の世に、どんなに不可思議な事柄がたとえ生じ得たとしても、むしろそれは全く驚くにはあたらないのである。…

高田義裕の人生論

今日の箴言 祈りは、私達が考えている以上に重要なのであり、威力があるものなのである。なぜなら、もし、自分達の事柄を行って行くのであれば、私達は何処にも祈る理由を見つけられないのである。しかし、実際には、すべての事柄は神に属する事柄なので、私…

高田義裕の人生論

今日の箴言 観念的な本質として、真の神をほとんどの人間はいわれなく(理由なく)憎んだということ。要するに、彼らの気持ちには神を憎む、何らかのそれなりの言い分さえある訳では無く、ただ嫌うという事の意味なのである。これはまさに不条理なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世の中を基準として見た、毎日生じている、全く愚かな事柄に拠る悲惨な結果はここで敢えて述べるのでは決して無く、公正さを基準とした観点から見た、これほどまでに悲惨な結果を生み出し、かつ、生み出す可能性を十分に潜在している、これら…

高田義裕の人生論

今日の箴言 社会全体の雰囲気が、互いに批評的になって、批判的精神が広まっていくようになり、互いが互いの足を引っ張り合うようになる時、その互い全体が、徐々に無自覚の内に衰退していくこと。すべての初まりは、ただ、互いにまず妥協し合い、まず許し合…

高田義裕の人生論

今日の箴言 現代風に述べるなら、人間の抱く誇りとは、その当人にとって全く有り難く無い、精神的なガン細胞のようなものであること。 2.世の中には、高尚な事柄もあれば、低俗な事柄もあるものなのである。この様に、心に幅のあるバランスの取れた理解と認…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人類が長い苦闘の末、ようやく編み出したと思われている、人の生活を安定させ、人を幸福にする上で、現在最も有効なシステムであり、体制である、と誰もが信じて疑わない社会的構造である、[民主主義]というものは、実際には無秩序の温床でしかな…

高田義裕の人生論

今日の箴言 不審な人物に付け入れられて困っているという人に言える事は、その本人から出ているオーラが、本人が自覚しないままに、その心にスキがあるのであり、それを敏感に察知した不審者の相手がそれにつけ込んでくるのであり、不審な人物に付け入れられ…