2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

高田義裕の人生論

今日の箴言 およそこの世の中に、これさえやっておけば、後は全部、事足りるという万能なものや、自信に満ち溢れるほどの確信もまた、存在しないのである。もし、その様に思えるものがあり、また、もし今、そう思っているとするなら、その人は自分の思いを欺…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべて直接に神から与えられたものだけを人は摂取し、それだけを用い、それだけを活用する様にすべきこと。例えば、神が直接人間に与えられたものは、食べ物に関して言えば、多くの木々から産出する柿の木や、マンゴーやリンゴなどのあらゆる木の…

高田義裕の人生論

今日の箴言 何かの事で、他の人を責めるのでは無く、また、自分をも責めるのでは無く、ただ、すべての者を生かし、育ててくださっている神エホバに感謝し、その方だけを畏れ、その方に常に祈っていなさい。 2.自分が謙遜である事を誇るのでは決して無く、謙…

高田義裕の人生論

今日の箴言 およそ、この世の中に昨日と同じ形でとどまっているものなど1つも無く、どれも皆、刻々と変化しているのであり、徐々に衰えて行っているのである。しかし、その同様の意味において、神エホバだけは、定めのない昔から今までも、かつこれからも、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世の中(人間)の知恵は、今、生きていけるか、生きていけないか、に関するものだけであるが、神の知恵はずっと生きて行く資格があるか、それとも、ずっと生きて行く資格が無いかに関するものであること。よって結論として、生きていける能力を…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私達は、自分達の身の上に生じる境遇を嘆いたり、他の人々の立場の不幸を見て、同情したりする事よりもまず、先に神の立場を考慮し、それらの事が起こる遥かに前から、神が神と言う存在でありながら、人間達から全く不敬な扱いを受けている事こそ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人に話すときは、なんでも、きちんと自分が自信を持てるまでよく調べたものを初めて話す様にすべきこと。要するに、無責任な発言は決してしないこと。結局、それは後で自分に跳ね返って来るからである。 2.私達はいずれは予告無しに、死ぬ立場に…

高田義裕の人生論

今日の箴言 愛ある精神でもって、相手の事を大目に見てあげるなら、また相手もあなたの事を大目に見てくれるのである。 2.唯一真の神を知らない人々の、唯一の拠り所であり、彼らにとっての神は、お金であること。その考え方が大多数であり、マジョリティで…

高田義裕の人生論

今日の箴言 今日の現代社会において、宗教と聞くと、皆が不愉快な気持ちになり、避けたい気持ちにさせられるのは、古今東西、遠い過去から現在に至るまで、真の宗教では無い偽りの宗教が人々や世の中に与えて来た弊害や悪しき結果に、人々はもはや、うんざり…

高田義裕の人生論

今日の箴言 本来知るべき事柄に対して、無関心である者は、まさに同情すべきほど、最後には、悲惨な目に会うこと。 2.あなたは自分と人との差を要求しているのか、それとも、自分の労力に応じた報いを要求しているのか、それら2つは同じ事の様で、実際には…

高田義裕の人生論

今日の箴言 本来、人間にとって最も最低限必要な事で、かつ、最も素晴らしい事柄は、日々、苦労を重ねて、他の人よりも先んじて、より優れた者になる事では決して無く、それは、一見、聞こえは良いが、しかし、本当の真実では無く、むしろ人間にとって、普通…

高田義裕の人生論

今日の箴言 日常の事柄において、取るに足りない、むしろ常人にとってはくだらないと思われる事柄を、情緒深く、非常に楽しく人々と話し合え、分かち合える様な豊かな感情移入が出来るようになる事が真に日常生活を豊かに幸福にし、楽しくするのである。普段…

高田義裕の人生論

今日の箴言 最初から完全な人間であったにも関わらず、最初の人間アダムとエバは、神エホバに対する崇敬の念と、畏れへの気持ちの全くの欠如の故に罪を犯したのが、現在のすべての苦しみの原因であるのであり、この事を考慮に入れると、このどん詰まりの終わ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 道理が存在すれば、不条理もまた存在し、愚かな人間や悪魔サタンが存在すれば、神もまた存在すること。ただし、神エホバは、ただお一人で立っておられる方なのである。 2.現在のこの終わりの日である、邪悪で姦淫の世代の今日、真理でさえ、悪し…

高田義裕の人生論

今日の箴言 自分が今まで、当然の様に疑う事無く、やすやすと陥っていた、人間の知恵から神を知ろうとする観点を全く改め、神からの音信に聞き従うという立場に徹すること。確かに人間の側からの神への探求は決して出来ない事は無いし、ある程度までは、神の…

高田義裕の人生論

今日の箴言 最初の人間アダムとエバが1つの重大な罪を犯した結果、あらゆる厭うべき事柄が現実となって、表面化する可能性が常に潜在するのである。 2.真の存在は、形に現れて存する顕在の方では無く、表面的には現れていない潜在する、と言う意味合いであ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 時間をより先取りする事は、どんなお金の金額よりも遥かに貴重であること。 2.その当人にとって、どうする事も出来無い事柄を指摘する者は、愚か者であること。 3.過去の事をいつまでも悔やむのでは無く、気持ちを全く切り替えて、今出来る事、タ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 自分は物事の解釈に優れていて、他の人のどこが不足しているかどうかを、た易く指摘する事が出来る、と自信に満ちている者達に対して言える事は、そんな事は誰でも、かつ、本人でさえも言われ無いうちから分かっているという事である。よって、何…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神の知識を自分は沢山持っていると、自負している者達に言える事は、本来、神の知恵は、幼な子の様な、この人間社会では愚かな者とされている貧者や孤児や乞食や奴隷に対して神によって啓示されているのであり、むしろ、それを知らないのは、この…

高田義裕の人生論

今日の箴言 その本人にとっての本当の事情は、結局、その本人に聞くしか無いし、その本人のほかは誰も知らないのである。まさにこれと同様に、聖書の事柄に関しての真実は、結局、聖書自身に聞くしか無いのであり、また、その様に聖書自身は自らに証ししても…

高田義裕の人生論

今日の箴言 自分に対して本来、余計な重荷や負担である過度の自信(誇り)や根拠のない確信を初めから抱いていない人は、別に問題は無いが、ただ、自分を賢い者として自分自身に依り頼んでいる者や、自分には豊富な知恵と見識を保持していると考え、自分を自負…

高田義裕の人生論

今日の箴言 はっきりと言っておく。勘違いしてはならない事は、神の裁きのニュアンスとは、たくさんある中での、最も妥協出来る平均値を取ってそこで切る、という浅はかで内容の無い仕方なのでは決して無く、全く非の打ち所の無い、もっともな事で誰もが認め…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人もまた、神も、互いに使う物は大差なく、全く同じ物なのである。ただ、その使い方の違いだけで、途方も無い差が出てしまうという事である。例えば、神は地面の塵で人間を形作られたのであり、それに対して、人間は地面の塵で何を作れるか。実際…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私が言いたいのは、たとえ、偽りが成立していたとしても、また、その存在する時間の長さの大小に関係無く、ただ偽りが永久に続く事は決して無いと言う事なのである。 2.ノアの世代に、洪水によって、神から直接に裁かれ、滅ぼされた人々は決して…

高田義裕の人生論

今日の箴言 他の人が自分に対して、辛く当たる場合や、不快な気持ちにさせられる時、人はその相手の人間が悪い性格であると判断しがちであるが、まず、その様に結論づけてしまう前に吟味して見る事がある。それは、自分の無自覚で、無意識の内に、自分の態度…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は、何かお金のあまりかからない、自分の生き甲斐的な楽しみを、努力して見つけなければならない。 2.人間の現在の状況において、人はただ生きて行くだけで、ただ息をしていくだけで、ただ命を維持するだけで、後、何か楽しみを持つという事を…

高田義裕の人生論

今日の箴言 疑うという行為は、お互いがお互いに立場が対等な場合にのみ、成立し得る段階であり、これを念頭において考えて見ると、人が神の存在や神の言われること、また、神の事を疑うという事は、単なる神からの創造物に過ぎない人間が到達出来る様な事柄…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神が形作られた人間の体には、次の3つの主要な能力が潜在している。1つは、自然治癒力というもの、そして2つ目は、自然更新力というもの、さらに3つ目は、自然適応能力というものである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は禁断の木の実を食べて、神に対して不従順に陥った時に、自分が裸であるという自意識を芽生えさせ、自分の事を必要以上に意識する様になってしまったのと同様に、人は相手の妻や夫もいないのに自分1人だけで性の快感を得ようとして、マスター…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神にでは無く、人に栄光が帰される善行はすべて、偶像崇拝であること。なぜなら、真の崇拝は、人に栄光が帰される事を少しも与えてはいないからである。 2.自分の意見を述べる事よりも、まず先に、他の人の意見を聞く事のみ優先する事に徹するこ…