高田義裕の人生論

今日の箴言

疑うという行為は、お互いがお互いに立場が対等な場合にのみ、成立し得る段階であり、これを念頭において考えて見ると、人が神の存在や神の言われること、また、神の事を疑うという事は、単なる神からの創造物に過ぎない人間が到達出来る様な事柄では決して無いのである。要するに、創造者と創造物との関係は全く対等な立場で無いどころか、人が神を疑うという事は初めから人間にとっては不可能な事柄であり、もし、そう主張するのならば、ただその本人がそう思い込んでいるだけであり、それらは本質的に言って、神に対して逆らっているだけというレベルに集約されてしまうのである。