2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

高田義裕の人生論

今日の箴言 それを行うということは、それを行うことが困難な時にこそ、あえて、それを行うということなのであり、それを行うことが、たやすい時に、それを行ったとしても、それは、真に、それを行ったとは言えないのである。よって、たとえ、同一の事柄を行…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべて、何かが良くなれば、必ず、別の何かが悪くなること。よってあなたが良くなったからと言って、その代わりに、誰かが悪くなったのであり、これを手放しでは、決して喜べないこと。

高田義裕の人生論

今日の箴言 非の打ち所が全く無いほどに、外側に対する守りが完璧であるものは、外側にだけ、エネルギーが、集中しているために、全く内側に対しては、無防備であるのであり、それ自体は、誰も何もしなくても、勝手に自分から、内部崩壊してしまうこと。 2.…

高田義裕の人生論

今日の箴言 あくまでも、適度の欲望がある状態が、健康な状態であると初めて言えるのであり、元気過ぎると、貪欲になりがちで、死に近づくし、また、病弱で、活力が衰えると、欲望も無くなり、これもまた、死に近づくのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 人が偉大かどうか、また価値があるかどうか、は自分というエゴイズムをどれだけ捨てられるかのみに、かかっていると言える。すなわち、自分を捨て、自分をどれだけ客観的に見ることが出来、かつそのように行動することによって、自分を中心とした…

高田義裕の人生論

今日の箴言 全く別のものとは、決してすべてが違っているということではなく、むしろ、与えられている条件は、全く同じで、それを用いるやり方が各々全く違うことを初めて言うのである。そのものの典型とは、人間のことである。すなわち、同じ人間でも、全く…

高田義裕の人生論

今日の箴言 本来、当たり前のようにできる何でもないことが、容易に出来なくなること、これこそが、病気という定義なのである。また、本来、行うのが容易で無く、難しいことが、容易にできるようになること、これこそが、健康の定義なのである。 2.その人に…

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世界は、賢くなろうとすればするほど、その人だけに相対的により難しく作用すること。かつ、この世界は、この世界の有り様とは何かを追求すればするほど、その人だけに相対的に難しく作用すること。すなわち、スピードを出せば出すほど、気色…

高田義裕の人生論

今日の箴言 何でも、本当に人にしてあげる為には、本当に手間がかかるということ。であるから、本当にしてあげる気持ちが無いと、決して行動出来ないこと。 2.人は常に、綺麗事のまま、差し障りのないままであろうとするけれども、そのままでは、結局何も変…

高田義裕の人生論

今日の箴言 どんなに為すべきことで、正しいことであっても、そればかりでは、息が詰まるのであり、結局は長続きしないのである。すなわち、正しいことが必ずしも、良いことではないということであり、清すぎる水には、魚や生き物が食べるものが無くて生き続…

高田義裕の人生論

今日の箴言 誇りは、無知から生じる。 2.割に合わないこと、がすべての災い、摩擦の原因なのである。すなわち、本当は価値があるものが、全く無価値なもののように扱われ、逆に、本来、全く価値のないものが、価値のあるもののように扱われているのである。…

高田義裕の人生論

今日の箴言 およそ、この世界に、絶対的なものなど存在しないということは、また同時に、およそ、この世界に超然とした絶対的な真理などというものなどは、存在せず、また、人が生きていく上で、そのようなものなど全く必要としていないということである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 私達自身は、例え、誰に対してでも、教え手でも無ければ、裁き人でも無いこと。もちろん、自分自身に対してでもある。 2.自分の一番失いたくないものを、失うということは、自分の一番認めたくないものをまさに認めるということであり、かつ、自…

高田義裕の人生論

今日の箴言 出し惜しみ、十分に行わないということが、渇望、欠乏、疲れ、不満足、そして、あらゆる苦しみを生み出す原因そのものなのである。よって、彼らは、苦しみの全く無いところで苦しみ、悩む必要が無いところで悩んでいるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 何事に対しても、自分の体の全体(全部)、自分の心の全体(全部)を使って物事を行うようにせよ。それらの幾らかであっても残してはならない。完全燃焼させよ。そのようにすれば、たとえ、あなた方はどれだけ労しようとも決して疲れを覚えることはな…

高田義裕の人生論

今日の箴言 それをすることが容易で簡単な時にそれを行ったからといって、何の誉れとなるだろうか。むしろ、それを行うことが精神的にも、肉体的にも辛くて困難な時にあえて行うことが本当にそれを行うということを意味するのであり、誉れとなるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間、無理をしていては、必ず限界が来て、いずれ倒れる。 2.高慢な者はまた同時に、常にものぐさであり、腰の低い者はまた同時に、常に勤勉である。 3.世の中の人々のすべての業が、皆、自分自身の背負いきれない、かつ、正面から向き合えないほ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 より悔しい思い、より恥ずかしい思い、より辛い思い、より悲しい思い、より惨めな思いをより多く経験してきた者こそが、味わい深い、人の心の痛みの分かる立派な人物に初めてなることができるのである。よって、何の失敗もせず、人に何の迷惑もか…

高田義裕の人生論

今日の箴言 知るとは、何をどれだけ知るべきか、という一方通行のものでは決してなく、同時に、何をどれだけ知るべきでないか、という事柄も知っていて、初めて、知るということが完成するということである。 2.この世界を見渡してみると、およそ、どの分野…

高田義裕の人生論

今日の箴言 親は、子に対して、最後まで献身的な愛を注ぐのに対して、それほどまでに、愛情を注がれたにもかかわらず、子は親に対してそれほどの愛を親に対して持っていないという事実は、非常に不思議で、不合理なことに思われる。 2.人は自分1人で決して立…

高田義裕の人生論

今日の箴言 自分が自分にならなくて、消去法で考えて、他に誰があなたの代わりになれるだろうか。誰もいないのである。よって、例え、自分で自分のことに何らかの障壁があったとして、たとえ苦しくても、自分には結局、自分しかいないし、どうあっても、自分…

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世界は真の意味で平等である。なぜなら例え、ある分野では確かに他の人より優れていても、また、他の分野では、他の人より全く駄目なこともあるからである。よって、全体的には、全く同じであり、他の人と少しも変わらないからである。また、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 悩むということは、自閉的で、周りを見なくなることによって起こるものである。もし、悩んだ時は、常に自分の目線を広い世界に向けて周りを見るように努力してみると、それがいかに小さくて、くだらないものであるのかが分かるであろう。心に、ガ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべての人は何かのことで辛い時、また、困って思い巡らす時、次の事を考慮すると良い。私達よりもはるかに立派で、栄光と尊厳を受けるに値する、神という恵まれた立場の方さえ、自分のお造りになった人間達に反逆され、罵られ軽蔑と侮辱をお受け…