2018-01-01から1年間の記事一覧

高田義裕の人生論

今日の箴言 経験的に言って、ちょっとした良心、すなわち、安っぽい中途半端な親切心や良心は何の親切心や良心も無いのと同然であり、何の影響力も無いこと。むしろ、それを行った事によって自分自身が痛い目を見る場合が多いのである。例えば、いつも水に溺…

高田義裕の人生論

今日の箴言 現代の大多数の人々は、本来人間にとって赤子の事柄の様に容易で分かりやすい、また本来人間にとって何ものにも先にある事柄、もしくは、疑う事よりも先にある当然の行い、すなわち、神に信仰を持ち、神に従うという、ごく初歩的な基本すら出来て…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は、他の人とどちらがより優れているかを競うのでは決して無く、ただ自分だけに関して歓喜の理由を持てる様に成れる為に努力していけば良いのである。これが本来の人の本分である。 2.この世の中の出来事で、このうえも無く素晴らしい事があっ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間にとって最も辛いのは、単なる死では無く、生き地獄の事なのである。この世の中にはどれだけ無数の生き地獄がある事だろう。そして、神エホバこそがそれを最も忌み嫌われる方なのである。 2.ほとんどの人は、誠の神エホバを高める事をせずに…

高田義裕の人生論

今日の箴言 本来決して生じる事の無い事柄がこの人類史の初めから生じてしまったのであり、それは神に対する反逆というものなのである。よってその後の世に、どんなに不可思議な事柄がたとえ生じ得たとしても、むしろそれは全く驚くにはあたらないのである。…

高田義裕の人生論

今日の箴言 祈りは、私達が考えている以上に重要なのであり、威力があるものなのである。なぜなら、もし、自分達の事柄を行って行くのであれば、私達は何処にも祈る理由を見つけられないのである。しかし、実際には、すべての事柄は神に属する事柄なので、私…

高田義裕の人生論

今日の箴言 観念的な本質として、真の神をほとんどの人間はいわれなく(理由なく)憎んだということ。要するに、彼らの気持ちには神を憎む、何らかのそれなりの言い分さえある訳では無く、ただ嫌うという事の意味なのである。これはまさに不条理なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世の中を基準として見た、毎日生じている、全く愚かな事柄に拠る悲惨な結果はここで敢えて述べるのでは決して無く、公正さを基準とした観点から見た、これほどまでに悲惨な結果を生み出し、かつ、生み出す可能性を十分に潜在している、これら…

高田義裕の人生論

今日の箴言 社会全体の雰囲気が、互いに批評的になって、批判的精神が広まっていくようになり、互いが互いの足を引っ張り合うようになる時、その互い全体が、徐々に無自覚の内に衰退していくこと。すべての初まりは、ただ、互いにまず妥協し合い、まず許し合…

高田義裕の人生論

今日の箴言 現代風に述べるなら、人間の抱く誇りとは、その当人にとって全く有り難く無い、精神的なガン細胞のようなものであること。 2.世の中には、高尚な事柄もあれば、低俗な事柄もあるものなのである。この様に、心に幅のあるバランスの取れた理解と認…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人類が長い苦闘の末、ようやく編み出したと思われている、人の生活を安定させ、人を幸福にする上で、現在最も有効なシステムであり、体制である、と誰もが信じて疑わない社会的構造である、[民主主義]というものは、実際には無秩序の温床でしかな…

高田義裕の人生論

今日の箴言 不審な人物に付け入れられて困っているという人に言える事は、その本人から出ているオーラが、本人が自覚しないままに、その心にスキがあるのであり、それを敏感に察知した不審者の相手がそれにつけ込んでくるのであり、不審な人物に付け入れられ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 およそこの世の中に、これさえやっておけば、後は全部、事足りるという万能なものや、自信に満ち溢れるほどの確信もまた、存在しないのである。もし、その様に思えるものがあり、また、もし今、そう思っているとするなら、その人は自分の思いを欺…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべて直接に神から与えられたものだけを人は摂取し、それだけを用い、それだけを活用する様にすべきこと。例えば、神が直接人間に与えられたものは、食べ物に関して言えば、多くの木々から産出する柿の木や、マンゴーやリンゴなどのあらゆる木の…

高田義裕の人生論

今日の箴言 何かの事で、他の人を責めるのでは無く、また、自分をも責めるのでは無く、ただ、すべての者を生かし、育ててくださっている神エホバに感謝し、その方だけを畏れ、その方に常に祈っていなさい。 2.自分が謙遜である事を誇るのでは決して無く、謙…

高田義裕の人生論

今日の箴言 およそ、この世の中に昨日と同じ形でとどまっているものなど1つも無く、どれも皆、刻々と変化しているのであり、徐々に衰えて行っているのである。しかし、その同様の意味において、神エホバだけは、定めのない昔から今までも、かつこれからも、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世の中(人間)の知恵は、今、生きていけるか、生きていけないか、に関するものだけであるが、神の知恵はずっと生きて行く資格があるか、それとも、ずっと生きて行く資格が無いかに関するものであること。よって結論として、生きていける能力を…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私達は、自分達の身の上に生じる境遇を嘆いたり、他の人々の立場の不幸を見て、同情したりする事よりもまず、先に神の立場を考慮し、それらの事が起こる遥かに前から、神が神と言う存在でありながら、人間達から全く不敬な扱いを受けている事こそ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人に話すときは、なんでも、きちんと自分が自信を持てるまでよく調べたものを初めて話す様にすべきこと。要するに、無責任な発言は決してしないこと。結局、それは後で自分に跳ね返って来るからである。 2.私達はいずれは予告無しに、死ぬ立場に…

高田義裕の人生論

今日の箴言 愛ある精神でもって、相手の事を大目に見てあげるなら、また相手もあなたの事を大目に見てくれるのである。 2.唯一真の神を知らない人々の、唯一の拠り所であり、彼らにとっての神は、お金であること。その考え方が大多数であり、マジョリティで…

高田義裕の人生論

今日の箴言 今日の現代社会において、宗教と聞くと、皆が不愉快な気持ちになり、避けたい気持ちにさせられるのは、古今東西、遠い過去から現在に至るまで、真の宗教では無い偽りの宗教が人々や世の中に与えて来た弊害や悪しき結果に、人々はもはや、うんざり…

高田義裕の人生論

今日の箴言 本来知るべき事柄に対して、無関心である者は、まさに同情すべきほど、最後には、悲惨な目に会うこと。 2.あなたは自分と人との差を要求しているのか、それとも、自分の労力に応じた報いを要求しているのか、それら2つは同じ事の様で、実際には…

高田義裕の人生論

今日の箴言 本来、人間にとって最も最低限必要な事で、かつ、最も素晴らしい事柄は、日々、苦労を重ねて、他の人よりも先んじて、より優れた者になる事では決して無く、それは、一見、聞こえは良いが、しかし、本当の真実では無く、むしろ人間にとって、普通…

高田義裕の人生論

今日の箴言 日常の事柄において、取るに足りない、むしろ常人にとってはくだらないと思われる事柄を、情緒深く、非常に楽しく人々と話し合え、分かち合える様な豊かな感情移入が出来るようになる事が真に日常生活を豊かに幸福にし、楽しくするのである。普段…

高田義裕の人生論

今日の箴言 最初から完全な人間であったにも関わらず、最初の人間アダムとエバは、神エホバに対する崇敬の念と、畏れへの気持ちの全くの欠如の故に罪を犯したのが、現在のすべての苦しみの原因であるのであり、この事を考慮に入れると、このどん詰まりの終わ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 道理が存在すれば、不条理もまた存在し、愚かな人間や悪魔サタンが存在すれば、神もまた存在すること。ただし、神エホバは、ただお一人で立っておられる方なのである。 2.現在のこの終わりの日である、邪悪で姦淫の世代の今日、真理でさえ、悪し…

高田義裕の人生論

今日の箴言 自分が今まで、当然の様に疑う事無く、やすやすと陥っていた、人間の知恵から神を知ろうとする観点を全く改め、神からの音信に聞き従うという立場に徹すること。確かに人間の側からの神への探求は決して出来ない事は無いし、ある程度までは、神の…

高田義裕の人生論

今日の箴言 最初の人間アダムとエバが1つの重大な罪を犯した結果、あらゆる厭うべき事柄が現実となって、表面化する可能性が常に潜在するのである。 2.真の存在は、形に現れて存する顕在の方では無く、表面的には現れていない潜在する、と言う意味合いであ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 時間をより先取りする事は、どんなお金の金額よりも遥かに貴重であること。 2.その当人にとって、どうする事も出来無い事柄を指摘する者は、愚か者であること。 3.過去の事をいつまでも悔やむのでは無く、気持ちを全く切り替えて、今出来る事、タ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 自分は物事の解釈に優れていて、他の人のどこが不足しているかどうかを、た易く指摘する事が出来る、と自信に満ちている者達に対して言える事は、そんな事は誰でも、かつ、本人でさえも言われ無いうちから分かっているという事である。よって、何…