2018-01-01から1年間の記事一覧

高田義裕の人生論

今日の箴言 神の知識を自分は沢山持っていると、自負している者達に言える事は、本来、神の知恵は、幼な子の様な、この人間社会では愚かな者とされている貧者や孤児や乞食や奴隷に対して神によって啓示されているのであり、むしろ、それを知らないのは、この…

高田義裕の人生論

今日の箴言 その本人にとっての本当の事情は、結局、その本人に聞くしか無いし、その本人のほかは誰も知らないのである。まさにこれと同様に、聖書の事柄に関しての真実は、結局、聖書自身に聞くしか無いのであり、また、その様に聖書自身は自らに証ししても…

高田義裕の人生論

今日の箴言 自分に対して本来、余計な重荷や負担である過度の自信(誇り)や根拠のない確信を初めから抱いていない人は、別に問題は無いが、ただ、自分を賢い者として自分自身に依り頼んでいる者や、自分には豊富な知恵と見識を保持していると考え、自分を自負…

高田義裕の人生論

今日の箴言 はっきりと言っておく。勘違いしてはならない事は、神の裁きのニュアンスとは、たくさんある中での、最も妥協出来る平均値を取ってそこで切る、という浅はかで内容の無い仕方なのでは決して無く、全く非の打ち所の無い、もっともな事で誰もが認め…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人もまた、神も、互いに使う物は大差なく、全く同じ物なのである。ただ、その使い方の違いだけで、途方も無い差が出てしまうという事である。例えば、神は地面の塵で人間を形作られたのであり、それに対して、人間は地面の塵で何を作れるか。実際…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私が言いたいのは、たとえ、偽りが成立していたとしても、また、その存在する時間の長さの大小に関係無く、ただ偽りが永久に続く事は決して無いと言う事なのである。 2.ノアの世代に、洪水によって、神から直接に裁かれ、滅ぼされた人々は決して…

高田義裕の人生論

今日の箴言 他の人が自分に対して、辛く当たる場合や、不快な気持ちにさせられる時、人はその相手の人間が悪い性格であると判断しがちであるが、まず、その様に結論づけてしまう前に吟味して見る事がある。それは、自分の無自覚で、無意識の内に、自分の態度…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は、何かお金のあまりかからない、自分の生き甲斐的な楽しみを、努力して見つけなければならない。 2.人間の現在の状況において、人はただ生きて行くだけで、ただ息をしていくだけで、ただ命を維持するだけで、後、何か楽しみを持つという事を…

高田義裕の人生論

今日の箴言 疑うという行為は、お互いがお互いに立場が対等な場合にのみ、成立し得る段階であり、これを念頭において考えて見ると、人が神の存在や神の言われること、また、神の事を疑うという事は、単なる神からの創造物に過ぎない人間が到達出来る様な事柄…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神が形作られた人間の体には、次の3つの主要な能力が潜在している。1つは、自然治癒力というもの、そして2つ目は、自然更新力というもの、さらに3つ目は、自然適応能力というものである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は禁断の木の実を食べて、神に対して不従順に陥った時に、自分が裸であるという自意識を芽生えさせ、自分の事を必要以上に意識する様になってしまったのと同様に、人は相手の妻や夫もいないのに自分1人だけで性の快感を得ようとして、マスター…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神にでは無く、人に栄光が帰される善行はすべて、偶像崇拝であること。なぜなら、真の崇拝は、人に栄光が帰される事を少しも与えてはいないからである。 2.自分の意見を述べる事よりも、まず先に、他の人の意見を聞く事のみ優先する事に徹するこ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 親を大切に扱う者は、自分を大切に扱っている者であり、親を大切にしない者は、自分を大切にしない者なのである。 2.たとえ、非常に優れていて秀でているものであっても、それが人間というものにとって余計な能力である場合、それはその人にとっ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 疑問として、人生を真剣に生きていない、要するに、大した苦労もしていない、どちらかと言うと、自分の人生に対してお客さん気分でいる様な、のんきな評論家的人間が、暇つぶしレベルで宗教や神に走るのでは無いか、という事である。 2.人の述べ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 面と向かって、神などいない、また、神など必要無いと言う者は、自分達に全く必要不可欠な、自分達に対して、神の代わりをしてくれている貴重な関係や恩恵を既に与えられている事を当たり前の様に感じて、その事を全く自覚していない者達なのであ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神が私達から見えないのは、単に見えないという物理的現象では決して無く、神御自身の素晴らしい特質に由るのである。すなわち、神が見えないのは、いかなる形にも似せる事が出来ないからである。いわゆる人間には最後まで分からない様にされてい…

高田義裕の人生論

今日の箴言 白か黒かという両極端な選択は極端で危険な思考であり、非現実的であると思っている者達に対して言える事は、しかし、私達は、生きているか、死んでいるかのどちらかであり、体の状態は大丈夫か、大丈夫で無いかのどちらかであるのであり、日常生…

高田義裕の人生論

今日の箴言 よく効く薬を一か月に一回飲むよりは、あまり効かない薬を毎日飲む事の方が、薬は、よく効く。すなわち、月に一回長い体操をするよりは、たとえ1分間でも毎日体操する方が体には健康的である。要するに、どんなに少量であっても、毎日続ける事は…

高田義裕の人生論

今日の箴言 勘違いしてはならない事は、イエス・キリストによる良い便り、すなわち伝道の内容は、神から出た音信であって、人から出たものでは無いという事である。よって、その伝道の内容を聞いた側が疑問や疑念や文句を言ったとしても、それを受ける側であ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 しゃべる事が出来ない者とは、初めからしゃべる事が出来ないのでは無く、しゃべる事が面倒くさいという怠惰さをそのまま放置してしまった為に、その能力が最後には、本人の無自覚の内に、退化してしまった状態の事を言うのである。これによって、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 1つの事にのめり込む事を目指すよりも、広く浅く、おおまかに、それぞれの分野の諸事情を知っておく、つかんでおく事の方が、よっぽど大事であり、得であり、その方が勝っているのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 外国語を学ぶという事は、何かまた、新たに全く別のものを学ぶという事では決して無く、むしろ、普段、当然の様に使っている身近な母国語を、もう一回外から冷静に見つめ直す作業の事なのである。 2.使われるものが使うものを超える事は決して無…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間にとって、生きていく上で、本当に必要な事は、自分によって後に積み上げられた肩書きや知識などでは無くて、ただエホバ神から既に、生まれた時から与えられている、誰しもが平等に自然に当たり前に持っている人間性であって、それは勤勉、正…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神は目に見え無いから、存在するかは分から無いと思っている者達に対して言える事は、人間の心は目に見え無いものなのでは無いだろうか。しかし、人の行うすべての事柄は、すべて人から出る心から生み出されているのでは無いだろうか。よって心は…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人はいつも心に思っている事を語るのであり、人はいつも心に思っている事を行うのである。決して思いより先に言動があるのでは無いのである。 2.聖書批評家達は、やたらに人間のナルシズムを全否定する事を美徳としているが、実際には、ナルシズ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 いじめと言う洗礼を受けて、初めて仲間に入れてもらえるとするならば、それは一体どんな仲なのだろう。そこまで1人の人間が追い詰められる必要性など何処にあるのだろう。そうでもしなければ、入れてもらえない仲間ならば、私はそんな仲に入りた…

高田義裕の人生論

今日の箴言 最近思う事は、人は、他の人のどうでもいい様な細かい所まで、いちいち詮索し、理解出来るが、こと自分自身の事に関しては、全く皆目もつかない盲人であるという全く愚かな事実である。 2.死すべき者は、皆、その全体において、その行いにおいて…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私が最近気付いた事は、人は人に対して義に適っている事など、誰も要求していないという事である。むしろ、少々の不足が有ろうとも、人は人が素直である事を求めているという事である。要するに、いい人になる必要など何処にも無いのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は、おそらく間違い無く、そうに違い無いという意識では、いざとなったらすべてを投げうつ事は出来無いものである。人はいつでも、目の前でハッキリと見たかの様な確信と証拠があって初めて、それに身を委ねる事が出来るのである。 2.人の扱う…

高田義裕の人生論

今日の箴言 栄光ある者達よ、自分のその栄光を捨てて、神エホバを崇拝せよ。そうでなければ、あなた方は自分の栄光の内に死ぬ事になるのである。 人が人を支配した事によって、地は損なわれ、そこは次第に、人の住める場所では無くなって行ったのである。 3.…