2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

高田義裕の人生論

今日の箴言 親を大切に扱う者は、自分を大切に扱っている者であり、親を大切にしない者は、自分を大切にしない者なのである。 2.たとえ、非常に優れていて秀でているものであっても、それが人間というものにとって余計な能力である場合、それはその人にとっ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 疑問として、人生を真剣に生きていない、要するに、大した苦労もしていない、どちらかと言うと、自分の人生に対してお客さん気分でいる様な、のんきな評論家的人間が、暇つぶしレベルで宗教や神に走るのでは無いか、という事である。 2.人の述べ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 面と向かって、神などいない、また、神など必要無いと言う者は、自分達に全く必要不可欠な、自分達に対して、神の代わりをしてくれている貴重な関係や恩恵を既に与えられている事を当たり前の様に感じて、その事を全く自覚していない者達なのであ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神が私達から見えないのは、単に見えないという物理的現象では決して無く、神御自身の素晴らしい特質に由るのである。すなわち、神が見えないのは、いかなる形にも似せる事が出来ないからである。いわゆる人間には最後まで分からない様にされてい…

高田義裕の人生論

今日の箴言 白か黒かという両極端な選択は極端で危険な思考であり、非現実的であると思っている者達に対して言える事は、しかし、私達は、生きているか、死んでいるかのどちらかであり、体の状態は大丈夫か、大丈夫で無いかのどちらかであるのであり、日常生…

高田義裕の人生論

今日の箴言 よく効く薬を一か月に一回飲むよりは、あまり効かない薬を毎日飲む事の方が、薬は、よく効く。すなわち、月に一回長い体操をするよりは、たとえ1分間でも毎日体操する方が体には健康的である。要するに、どんなに少量であっても、毎日続ける事は…

高田義裕の人生論

今日の箴言 勘違いしてはならない事は、イエス・キリストによる良い便り、すなわち伝道の内容は、神から出た音信であって、人から出たものでは無いという事である。よって、その伝道の内容を聞いた側が疑問や疑念や文句を言ったとしても、それを受ける側であ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 しゃべる事が出来ない者とは、初めからしゃべる事が出来ないのでは無く、しゃべる事が面倒くさいという怠惰さをそのまま放置してしまった為に、その能力が最後には、本人の無自覚の内に、退化してしまった状態の事を言うのである。これによって、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 1つの事にのめり込む事を目指すよりも、広く浅く、おおまかに、それぞれの分野の諸事情を知っておく、つかんでおく事の方が、よっぽど大事であり、得であり、その方が勝っているのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 外国語を学ぶという事は、何かまた、新たに全く別のものを学ぶという事では決して無く、むしろ、普段、当然の様に使っている身近な母国語を、もう一回外から冷静に見つめ直す作業の事なのである。 2.使われるものが使うものを超える事は決して無…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間にとって、生きていく上で、本当に必要な事は、自分によって後に積み上げられた肩書きや知識などでは無くて、ただエホバ神から既に、生まれた時から与えられている、誰しもが平等に自然に当たり前に持っている人間性であって、それは勤勉、正…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神は目に見え無いから、存在するかは分から無いと思っている者達に対して言える事は、人間の心は目に見え無いものなのでは無いだろうか。しかし、人の行うすべての事柄は、すべて人から出る心から生み出されているのでは無いだろうか。よって心は…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人はいつも心に思っている事を語るのであり、人はいつも心に思っている事を行うのである。決して思いより先に言動があるのでは無いのである。 2.聖書批評家達は、やたらに人間のナルシズムを全否定する事を美徳としているが、実際には、ナルシズ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 いじめと言う洗礼を受けて、初めて仲間に入れてもらえるとするならば、それは一体どんな仲なのだろう。そこまで1人の人間が追い詰められる必要性など何処にあるのだろう。そうでもしなければ、入れてもらえない仲間ならば、私はそんな仲に入りた…

高田義裕の人生論

今日の箴言 最近思う事は、人は、他の人のどうでもいい様な細かい所まで、いちいち詮索し、理解出来るが、こと自分自身の事に関しては、全く皆目もつかない盲人であるという全く愚かな事実である。 2.死すべき者は、皆、その全体において、その行いにおいて…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私が最近気付いた事は、人は人に対して義に適っている事など、誰も要求していないという事である。むしろ、少々の不足が有ろうとも、人は人が素直である事を求めているという事である。要するに、いい人になる必要など何処にも無いのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は、おそらく間違い無く、そうに違い無いという意識では、いざとなったらすべてを投げうつ事は出来無いものである。人はいつでも、目の前でハッキリと見たかの様な確信と証拠があって初めて、それに身を委ねる事が出来るのである。 2.人の扱う…

高田義裕の人生論

今日の箴言 栄光ある者達よ、自分のその栄光を捨てて、神エホバを崇拝せよ。そうでなければ、あなた方は自分の栄光の内に死ぬ事になるのである。 人が人を支配した事によって、地は損なわれ、そこは次第に、人の住める場所では無くなって行ったのである。 3.…

高田義裕の人生論

今日の箴言 キリスト教神学序説 神がこの世を滅ぼされる理由に関して、この世自体の有り様が自らに、滅びを要求しているからである。 2.たとえ神を知らずとも、義を支持し、義を愛している者達に言える事は、義人とは結局のところ、神に従う者達の事を意味し…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間にとって最大の脅威は、精神的なプレッシャーである。 2.物事に対する困難さ、難しさが不可能を意味するのでは無い。あくまでも、それはその人の心が決めるのである。 3.神エホバから直接に出ていない事柄、もしくは、神エホバに直接に従う事…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間にとって、逆境こそ人生の始まりであり、弱い時こそ強く成る為の必要条件であり、失敗する事こそ、成功する為の出発点であり、苦しみこそ、喜ぶ為の大前提であり、敗北こそ勝利し、失う事こそ、得る為の基礎なのである。よって、試練に会う時…

高田義裕の人生論

今日の箴言 咄嗟の絶大な力よりも、何気ない日常の小さな積み重ねの力の方が強力であり、瞬間的な力よりも、継続する力の方が、本当の意味で、一番の強さであること。 2.物事に対して、何から何までスムースに行え、逐一分かるほど賢くなっても、それはその…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべて知らない者に対しては、責任は問われ無い。しかし、ひとたび知った者に対しては、それに対する責任と自覚が求められるのである。 2.悪いという定義は、良いものが悪いものとなっているという事では無い。すなわち、一番良いものが一番悪い…

高田義裕の人生論

今日の箴言 中身の無い者ほど、外見を飾りたがるものだ。 2.何も知らない者の為にこそ、制限や規則が必要とされているだけなのであり、すべてを知っている者には、むしろ、規則など何も必要としないこと。 3.人々の間の差を失くすやり方は、それを強制的に横…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は、他の人や現象がすべて、自分からは何もしなくても、向こうの方から勝手にやって来ると思っており、常に自分が悪くなくて非は向こうにあると考えがちであるけれども、実際には、あなたの周りのすべての現象は、すべてあなたから引き起こされ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神の卓越した愛を知らない人間は、皆必ず、些細な事で誇り、かつ、些細な事で争い、殺しあうこと。 2.この世界において、最も損失を伴い、最も無駄に気力や体力を共に浪費する状態とは、すべて、物事にひたむきにならず、中途半端でやる気が無く…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私の経験から分かった事で、人間、知識と知恵を追い求め、物事を探求し、物事を知れば知るほど、如何に自分が何も知らないか、という事が分かってくるという事である。要するに、物事を知ろう、分かろうとする態度そのものが、その初めから、無駄…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべては、心が決定するのであり、そういう意味においては、心の速度は、光の速度よりも速いのである。 2.利己的な人間は、たとえ、本来ならば、あり得ない程に、特殊で、特別に用意された、どんなに恵まれた良い物を与えられても、全く割の合わ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間同士の争いは、すべて、ふとしたキッカケで生じた全く些細で、取るに足りない程の意見の相違で起こること。すなわち、その場の一時の雰囲気と流れで、互いが引っ込みが付かなくなって、それを押し通そうとする所から生まれること。この時の最…

高田義裕の人生論

今日の箴言 感謝とは、謙遜の事であり、謙遜とは、努力の事であり、努力とは集中力の事であること。 2.男女差に関係無く、あらゆるものすべてを形造り、あらゆるすべてを支え、あらゆるすべてを魅力ある、価値あるものにするのはただ唯一、心であること。よ…