高田義裕の人生論

今日の箴言

すべて知らない者に対しては、責任は問われ無い。しかし、ひとたび知った者に対しては、それに対する責任と自覚が求められるのである。

2.悪いという定義は、良いものが悪いものとなっているという事では無い。すなわち、一番良いものが一番悪いものと見なされ、かつ、一番悪いものが一番良いものと見なされている心の状態の事を言うのである。要するに、悪いものが何か固定してある事が悪いのでは無く、両者の扱い方の不一致、すなわち、互いの立場が全く逆に入れ替わっている状態の事を初めて悪いと言うのである。

3.全く何もしなかったという罪も存在する。

4.あくまでも、セックスは体では無く、心でしているものなのである。なぜなら、誰も、死体とセックスする者などいないからである。

4.誰のものでも無いという事は、同時にすべての人の為のものである事を満たす。すなわち、共有される公のものという性質は、ただそれだけが本来、あらゆるものを生かし、個々や個人という全く私的レベルの欲求を満たし、その生活や営みを維持させている唯一のものであること。すなわち、公の存在である究極のもの、いわゆる神こそがすべてのものを生かしておられる存在なのである。