2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

高田義裕の人生論

今日の箴言 何にせよ、どういうことであれ、他の人すべてを悪く言わない者は、自分自身を、大事に、大切に扱っている者なのである。 2.歓び多い者はまた、悲しみも多く、悲しみ多い者はまた、喜びも多い。 3.すべてに対して、何もしないで、何も言わないとい…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神は言われる。人は各々どれだけ労苦を重ねようが、その各々本人の可能な範囲までしか行っていないし、限界を超えてはいないのである。それであなたは、限界を超えるという世界を知っているか。また、不可能のただ中にあって、それを可能にするこ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 神を知らない人間達は、神が私達に与えた貴重な命を、大事に扱うことによって、神に対して敬意を示すという事をしないばかりか、信仰による心の強さと勇気を培うべきところを、スリルという生死の狭間を試みる事によって互いに競い合い、自分の命…

高田義裕の人生論

今日の箴言 聖書的真実さから言って、誰であろうと、初めから人付き合いが上手で、社交的である者など一人もいないのである。すべての人間は、その程度の大小の差こそあれ、ベースは、自己満足的な自閉症から出発しているということなのであり、もし、人と人…

高田義裕の人生論

今日の箴言 すべて、それを持っていないからこそ、それを求めるということが、初めて生じ得るのであり、そのような意味で、私達が美しいもの、もしくは、貞潔さを渇望したり、それに対して憧れを持って、それに向かって努力したりすること自体が、私達には、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 私達はすべてのことを全部調べたわけでもないのに、[私達にとってすべては分からない]ということを果たして、どんな方法で、彼らは知り得、分かるようになれるというのか。 2.この世界に様々な恐ろしいものは数多くあるけれども、その中でも、最…

高田義裕の人生論

今日の箴言 全く知らずのうちに、死んだことを意識せずに死ねたら、どんなに良いだろう、と思ってしまう程、自分らしさを抑えて、他の人に遠慮している生き方ほど、全く損でナンセンスなものはないのである。人は本来、自分の好きなように、自分のペースで、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 日本では、犯罪を犯した人が、社会に再び復帰できる土壌はなかなか育って来ない。一度罪を犯そうものなら、前科者というレッテルを貼られ、一生肩身の狭い思いをして、生きていくことになるのである。このような、柔軟性のない狭量な雰囲気は、や…

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世界には、誰でも、自分一人では決して気付くことのない、そうして自分が気付かなければならない事柄で満ちているということである。実にそうした事を知る為に、他の人と交わり合うという人間関係が必要不可欠なのであり、人は、必ず社会的関…

高田義裕の人生論

今日の箴言 存在の哲学(存在しないとは何か。) 全く見えもしないし、知らないし、感じないことが、存在しないというのではなく、実際には、確かに見えるし、知っているし、存在しているが、決してそれを行うことが出来ない、もしくは、味わうことが出来ない…

高田義裕の人生論

今日の箴言 罪の多様性とは何か。 人は皆、生きる環境、生きる条件は多種多様であり、それぞれの人の考え方、生きるための必要条件の種類も、千差万別である。同様に、神に対して罪を犯した罪人である私達も、それぞれの人の悪い考え方の傾向、悪くなる必要…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間による完璧な正しさの渇望こそが、あらゆる災いの根源であり、罪の初めであり、偶像崇拝そのものであること。なぜなら、正しさとは、あくまでも、神に属するものであるからである。 2.何かを得ることは、他の何かを捨てることである。また、…

高田義裕の人生論

今日の箴言 ただ単に、辛いだけが本当に辛くなれるわけではなく、それとは逆の、甘みを加えることによって、いっそう辛くなり、辛みがいっそう引き立ち、初めてそれが辛いものとなる。また、同様に、できるだけ甘くするだけが、本当に甘くなるのでは決してな…

高田義裕の人生論

今日の箴言 ある人は、物事を行う時、往々にして、すべてを背負い込もうとする。それでは必ず、人は疲弊し、挫折する。よって、人は常に、すべてを行おうとする気持ちではなく、自分ができることは、すべて行おうとする気持ちで取り組めば良いのである。この…

高田義裕の人生論

今日の箴言 1.何が災いかと言って、一つの必要のために、二つのものを犠牲にしてしまうことを初めて、災いと言う。 2.予想外の成功は、予想外の失敗に、直結していること。 3.どんなに小さな事でも、常に全力で行うべきこと。 4.本質的とは、ある物事の本当…

高田義裕の人生論

今日の箴言 この世には、本質的に言って、勝者と敗者の立場しかないこと。しかし、大半の者は、その両方の立場を兼ねている場合が多い。すなわち、常に勝者の立場であり続けられる者など決してなく、逆に、常に敗者の立場であり続ける者なども、決していない…

高田義裕の人生論

今日の箴言 はっきり言って、この世の醍醐味とは、理想の異性を探すという消極的で、受け身的な態度では決してなく、むしろ、理想的でない異性を、いかにして理想的な異性にするかという、あくまでも、積極的な姿勢による、利他的態度にこそあるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 キリスト教神学叙説 何が正しいことであるか、すなわち、何がより、正しいことなのかという事を知ろうとして、営んできた人類の歴史や、その渇望こそが、偶像礼拝の最たるものであること。彼らは、何が正しいかというほんの小さな世界のことだけ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 1.人はなぜ、他の人の成功を妬むのだろうか。それは、あなたが自分に既に与えられている自分の為すべき事を一所懸命に行っていないからである。自分も自分のしたい事を自分の出来る精一杯の努力で行なっていれば、他の人の一所懸命に行なって得た…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は、自分の力ではどうにもならないものに対しては、それを無視し続けるか、もしくは、それを神のように崇めようとする。例えば、自然災害をもたらす自然的なもの、山や空や太陽などに、山の神や、太陽神などの名前を付けてそれを畏れ崇拝して来…

高田義裕の人生論

今日の箴言 人間は、過重労働などの苦しい生活を強いられても、長生きしないが、また、何もしないで楽をし過ぎても、早死にするのである。やはり、人間は、適度に汗を流して働いて、そして、その疲れを癒す為の自分の楽しみも適度にとるということが、一番健…

高田義裕の人生論

今日の箴言 怒りを撒く者は、その二倍を浪費し、その怒りを受ける者はその二倍を勝ち得る。 正しいことを行うことと、正しいことを行い続けることとは、また別問題である。

高田義裕の人生論

今日の箴言 人は皆、自分の知らない、また、気付かないうちに、他の人に迷惑をかけていたり、そうとは言わないでも、他の人に密かに忍ばれている事が数多くあるのである。よってあなたも他の人のことを相手が知らないうちに、密かに許し、密かに忍ぶべきであ…

高田義裕の人生論

今日の箴言 まず、自分が救われなければ、他の人を救うことは出来ない。また、まず自分が楽しくなければ、他の人を楽しくすることは出来ない。また、まず自分が幸福でなければ、他の人を幸福にすることは出来ない。

高田義裕の人生論

今日の箴言 何でも可能な中から、可能な事を行うことに何の知恵がそこにあるだろうか。むしろ、ある限定されたルール(規則)の中で工夫をして、自分の望む事柄を可能にしていく状況こそが、初めて知恵の存在を可能にするのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言 宗教論 人間は倫理的動物である。人間は常に、自分の行っている事は正しいと信じているし、自分を常に、正しい状態に保ちたいという良心を持っているからである。もし、自分が悪い事をしている人と世間に思われたら、あなたはそれを嫌だと思うの…