高田義裕の人生論

今日の箴言

罪の多様性とは何か。

人は皆、生きる環境、生きる条件は多種多様であり、それぞれの人の考え方、生きるための必要条件の種類も、千差万別である。同様に、神に対して罪を犯した罪人である私達も、それぞれの人の悪い考え方の傾向、悪くなる必要条件の種類も多種多様なのである。例えば、暴力的な精神の傾向を示す人間もいれば、内気で気の弱い人もいるのである。また、盗み取ることが上手な人や、人の粗探しが得意な人もいるのである。要するに、悪いことに関して、多種多様な性質を示すことを、罪の多様性と言う。よってこれを悪いことと決め付けず、罪の多様性を良い方に作用するように、それを利用して見よう。例えば、内気で友達ができない人は、逆に言えば、優しくて人の感情に対して機微な人であることが言える。また、人とのコミュニケーションが得意で社交的な人は、逆に言えば、ずうずうしくて、他の人の気持ちを配慮することに鈍感な人であるとも言える。よって、ここで、互いに逆の性格を持ちあわせている人同士が、互いの不足している所を補い合えば、互いに満足することができるのである。ここで言えば、内気な人に対しては、社交的な人が、友達を作れるよう助けてあげれば良いし、逆に、人の気持ちの配慮に欠ける所をその内気な人が、補ってあげれば良いのである。このように人々が互いに協力する暖かい生活環境を作り出すことが緊急に求められているのである。