高田義裕の人生論

今日の箴言

キリスト教神学叙説

何が正しいことであるか、すなわち、何がより、正しいことなのかという事を知ろうとして、営んできた人類の歴史や、その渇望こそが、偶像礼拝の最たるものであること。彼らは、何が正しいかというほんの小さな世界のことだけに没頭し、それより他にもっと大切な事柄をなおざりにしてきたのである。この思考の甚だしい偏りが、人類のあらゆる弊害と問題とを生じさせてきたのである。何が正しい事であるかを知ることは、確かに大事な事であるけれども、それは、あくまでも、沢山ある大事な事のほんの一つのことでしかなく、それだけがすべてでは決してないということである。なぜなら、神御自身でさえ、御自身を正しい者としてお示しになっておられるわけでは決してないからである。あくまでも、神は正しいのだ、という捉え方をするのではなく、何が正しくて、何が正しくないかを知る権利は、神に属するという点にあるということである。要するに、神という存在を抜きにして、ただ、正しさとは何か、単に、正しさこそ、すべてであるという、人間的哲学、すなわち、偶像崇拝の精神に陥ると、その最後には、正しさを保つために、正しくないこと(悪いこと)をしなければならなくなるというジレンマが生じて、いずれは崩壊してしまうからである。よって、正しさとは何か、という問いも、あくまでも、相対的なものでしかなく、決して絶対的なものではないということである。