高田義裕の人生論

今日の箴言

事実を無意識のままに行っていることと、事実を認識して行っていることとは雲泥の差があるのである。例えば、何も知らされずに、仕事をする時と、この仕事をしなければ、家族全員を養っていけないと認識して仕事をするのとでは、仕事に対しての真剣度も違うし、緊張感も全く異なるのである。すなわち、同じ内容の仕事をするにしても、前者はあまり大変に感じないが、後者は、すこぶる大変なことになるのである。

2.納得せずに、ただ知っていることと、納得して悟るということとは、雲泥の差が生じるのである。

3.何にせよ、問題が発生した時点で、初めて助けたり、問題として議論されることでは、既に遅すぎるのである。言い換えれば、それが取り返しが付かなくなるまで、ただ誰も関心を示さず、放置されていた故に起こった事なのであり、そこには全く愛が欠けているのである。それは逆に言えば、自分の都合の良い時にだけ、親切にしたり、好意を持ったりすることと同じであるからである。よって、人は皆、自分に都合が悪い時にこそ、親切にすべきである。そうするのが面倒くさいと思っても、それだけの気持ちと労力を払って、初めて、それは親切をしたと言えるからである。