高田義裕の人生論

今日の箴言

人が、ついセクハラや淫行や姦淫を行ってしまう心の動機とは、一重に自分に対する過信による甘えにある。すなわち、自分は、今までこれだけ大変で、かつ有意義で、価値ある事をやって来たから、これだけの大きな人生の蓄えがある。自分は他の人よりも特別な存在だ、と考えて、少しくらい間違いを犯しても大目に見てくれるだろうと言う甘い考えが根本に深く根ざしているという事である。よって、社会的地位が高い人ほど、間違いを犯す傾向が強いのである。そう、今迄人に尊敬される事を積み上げて来た人ほど、罪を犯しやすいのである。よって、人が立派になるよう努力するのは、良いが、それを理由に自己過信に陥って、過ちを犯すくらいなら、人が立派になるよう努力する事自体が、間違っているのである。