高田義裕の人生論ブログ

今日の箴言

今日は少し、キリスト教神学について述べてみましょう。

聖書の言う原罪について。

唯一全能の神である方は、(その名をエホバという)すべての点においてパーフェクトな方である。ここで神の御業は完全ということを全く何の失敗もないことと定義しよう。聖書はこの世の苦しみや罪が生じたのは、ある1人の天使が悪魔となって神に反逆したこと、そして最初の人間夫婦であるアダムとエバも神に反逆したとはっきり述べている。ここにおいて、既に神は失敗しておられると言えるのではないだろうか。なぜならもし完璧なら、天使が反逆したり、人間が反逆したりすることは決して無く、そのまま順調に物事が進んでいくのが当然のことだと思えるからである。しかし私はよく熟考して考えたのであるが、私達人間から見て、神の定義とは最後まで分からない神秘的な存在ととらえたならば、決して失敗するはずのない神が失敗しているように思えることは、永久に理解できない不思議で神秘的なことではないだろうかと。即ち、人智を超えたこの謎こそが私達にとって神を神とならしめているのではないかと思うのである。