高田義裕の人生論

今日の箴言

人は、理論派の人は、理論そのものとは、物事の全体から極度に部分的な所だけを抽出し、そこばかりを精密に、厳密に調べるという態度の事を言う。それでそれに余りに熱中し過ぎると、全体の流れを掴むという態度に対して希薄になりがちであり、いわゆる、一方を重んじて、他方を退けるという偏重した考え方に陥り易いこと。これは現代医学に特に顕著に見られる。今の医学は、極度に専門化し、内科、外科、心療内科泌尿器科、眼科、脳外科などに分かれている。例えば、患者は頭が痛いという症状を抱えて、脳外科に行ったとする。すると、脳外科医は、脳のCTスキャンなどを通して脳に異常が無いかを調べる。しかし、脳には何の異常も無い。そこで、医者は、自分の医者としての立場とプライドから、私には分かりませんとは言わずに、頭痛を抑える薬を処方する。患者は医者の言われるままに、頭痛薬を飲むがそれでも治らない。ここで、人体とは、あくまでも、脳、腸、胃、精神、などが、独立して成立しているわけではない。それらは皆、相互に密接に関連し、互いに助け合いながら機能しているのである。いわゆる、私は耳だから、目の事には関係無いとか、私は足だから、手には関係無いなどとは言え無いのである。もし、頭が痛い時、それは仕事でパソコンの画面を見過ぎて眼精疲労から来ている場合もあるからである。よって、私は内科医だから、眼科医のことは分からないとか、私は眼科医だから、脳外科医の事など分からないなどと言っていては、本当の医者ではないのである。あくまでも、人体は、それぞれの臓器の専門性を詳しく知っておくべきことはもちろんの事、それを駆使した上で、人体を全体的に総合して判断する能力も持ち合わせていなければならないのである。ここで最初に登場した頭の痛い患者の症状の原因は、実は心療内科にあった。彼は日々の生活において、過労が原因で鬱病に成りかけていたのである。その原因が頭痛という症状になって現れていたのであった。それで彼は精神科に通院する事になり、精神科医に自分の悩みを聞いてもらう事で、徐々に頭痛が治っていったのである。