高田義裕の人生論

今日の箴言

物事が楽に済むのなら、それに越した事はないが、別に、楽する事がすべての人間の目指すべき、尺度ではないから、楽する事がすべてであるかの様に追い求めたり、楽して稼いでいる人達を羨ましがったりする必要もないこと。

2.間違いの度合いの大きさが、その大きさなのでは決して無く、むしろ、間違いの大きさの大小に関係無く、その問題の間違いの修正のし易さ、もしくは、間違いを解決する上で、必要な材料の多さの程度こそが、初めて間違いの大きさであること。例えば、あなたは自動車事故を起こして、電柱にぶつかったとする。そのせいで、その町中の電気が停電し、多くの人に迷惑をかけてしまった。これは一人で起こした過ちにしては、大きすぎる事の様に思われる。しかし、その問題の修正のし易さで言えば、新たに電気工事をして、壊れた所を直せば、それですぐ停電は解消されて、それで済む事である。そういう意味においては、修正可能なのである。しかし、あなたの母が、あなたの父の女癖の悪さに愛想が尽きて、あなたを連れて、家を出てしまった。その後、あなたの母は、また別の男性と知り合う様になった。あなたは自分の父が悪くて母は間違っていないという事を全く信じて疑わなかった。しかし、ある時偶然にも、あなたは自分の父と出くわした。すると、父はあなたを見て泣きながら、あなたの身の上を心配し、本当の事を語り出した。それはこうである。あなたの父の母は、大恋愛の末、一緒になり、結婚した。それで夫婦は、あなたを産んで、幸せな家族生活が続くと思っていた。しかし、母は自分の職場で、自分の父よりも相手として理想的な男性と知り合った。母と男性は意気投合し、深い仲になった。そして二人は、あなたの父を捨てて、駆け落ちした。父は真面目で何の罪も無かった。ただ、あなただけは母にとって、邪魔な存在であったが、その男性と一緒になる為の形だけの理由として、あなたと男性が結婚した事にして、母はその男性と一緒にいられる様に世間体からは、正当なものと見せかけただけであった。そして、あなたが家にいない事を見計らっては、母とその男性は、激しく欲情を燃やして、性行為に耽っていた。本当の事を知ったあなたは、信じていた母に裏切られた事で、ショックを受け、立ち直れなくなった。そこであなたは、母の元を去って、あなたの父と一緒に暮らし始めた。父は優しくいつもあなたを可愛がってくれたが、その母の裏切りのせいで、精神を次第に病み、深刻な鬱病となった。それで、働けなくなった父の代わりに、あなたは働かなければならなくなり、自分の身を売って遊女になって、お金を稼ぐしかなくなった。これを聞いてあなたはどう思うであろうか。この問題は、あくまでも、一つの小さな家族に起きた悲劇に過ぎない。直接、他の多くの人に迷惑がかかった訳でもない。見た目には、間違いの規模の大きさは小さい様に思える。しかし、これは、その問題の修正のし易さから見れば、遥かに大きくて困難な問題である。何故なら、彼女の心の傷をどう癒すか私達には見当も付かないからであり、その罪の無い父の深い心の傷を治す術は無いからである。