高田義裕の人生論

今日の箴言

ちまたで定説となっている、何事もやっているうちに自然とコツは分かってくる、と言う考え方は、一見、さも現実性がある様に思われるが、実際には決してそうでは無いこと。それは、たとえ自我流で、習字や絵画を書いても、ある程度までは上手く行くかもしれないが、現実的には、やはり習字の先生とか、絵画の先生と言う導きがなければ、本当に上手にはなれ無いのである。それをせずに、ただ独学しても、ただいたずらに力を使い果たして参ってしまうのである。よって、人間は、まず他からの教え手の様な導いてくれる存在が無いと立ち行かないのである。人生を歩むにしても同じである。誰にも頼る事無く、自我流で生きる事を始めても、最初だけは上手く行く様に見えても、いずれ必ず行き詰まるからである。この世の中、自分流に生きてみて、最後には破滅していく人間が大半を占めるからである。何故なら、習字には、習字の先生が居るし、絵画には、絵画の先生もいるが、人生には、教師と呼べるものは、この世の中に一つとして無いからである。たとえ誰かの生き方に憧れて、それを模倣してもその人の生き方は、必ずしも正しいと言える保証は何処にも無いからである。やはり、私達は、人間を創造した方、エホバ神を教師として、神のなさる通りに行わなければ、決して人生を生き抜いてはいけないのである。